漁業のはなし 4


生産工場が赤字部門だったのが、分社化により労務体系を本社と切り離して地域対応型に改め・・・


さらに社員の親方日の丸体質をなくすことによって、それぞれが帯を結べるようになりました。


それまでのように生産と販売が対立し、喧嘩の絶え間がなかったのと比較すると、まずうまくいっているほうではないかといいます。


もちろん問題がないわけではありません。


どこの会社でも生販の対立は深刻な課題です。


意見が対立し、議論し、最後は妥協にせよ合意を得て全社一丸になることができれば理想的でありますが・・・


マンモス企業の場合、小田原評定に陥ったり、感情的に対決することもありうるのです。


大洋漁業の本部制では、生産工場が従属的になるので対立は起きないでしょう。


しかし、販売の一方的な圧力により、生産の実情無視の全社的損失が発生する場合もあるだろうと思います。


そして本部の成績を優先して子会社を圧迫すれば、生産工場のモラル低下につながる危険性もあります。

ロートアイアンについて


どう宣伝されても日本人が自分たちの生活は豊かだと実感しない理由には、この種の日常的状態の貧しさがあまり変わらないことが関係しています。


反対に、アメリカやヨーロッパの豊かさには、保守の良さが大きく関係していると思います。


汚れた窓ガラスやタバコの吸殻の投げ捨てに平気なのと同類で・・・


さびに対する理解も、近代的生活の中にぜひ取り込まなければならない心得、ないしは、しつけです。


改めていうまでもなく、建造物・輸送機関・工場設備などの主要部分はロートアイアンなどを含む鉄鋼製であって・・・


その保守の良否が機能を左右します。


さびに耐える材料が見つからなければ、工業そのものが成立しないこともあります。

漁業のはなし 3


冬の時代に突入していた大洋漁業において、ぬるま湯につかることは許されるはずはありません。


そこで1982年に事業本部制の導入と分社化を決意しています。


・・・つまり分権化です。


本社を5事業本部に分割し、それぞれ常務取締役が本部長に就任しました。


そして生産工場をすべて分社化しました。


生産工場を子会社にするとき、子会社いじめが起きると反対の声も強かったそうですが、本部長が責任を持ち、生販一体の体制にすることでスタートしました。


つまり「あなたは売る人、私は作る人」では、業績の向上は望めないという考え方です。


・・・この結果は上首尾だったようです。

漁業のはなし 2


86年には、飼料部門の一部を子会社に移管しています。


新規事業推進室を設置して、商品のカタログ販売や外食産業への売り込みを強化し、さらに海外拠点を拡大しています。


そして1989年度には、自社漁携は北洋すりみを主体にして合理化が進み、ようやく収益が安定化するようになりました。


冷凍食品は商品を絞り込み、不採算部門を改善し、漁携部門の合理化もほぼ一段落したのです。


・・・これを機に、将来に向けて筑波に30億円を投じて研究所を建設し、基礎研究や商品開発部門を充実することにしています。


いま大洋漁業は、2百カイリ規制にはじまる長い冬の時代を通じて減量化し、ようやく健康体に戻って春を迎えようとしています。


まだまだ寒さはぶり返すだろうが、真冬に比べれば和らいでいるにちちがいありません。


なにしろ最盛期1万2千名もいました。従業員を減量と分社化により、1989年3月31日現在、3296名にまで減らしています。


新規事業をやりたくても手がない、というくらいにまで減量化してきたのです。


事業部制導入と分社化マンモス企業における最大の悩みは、社員の親方日の丸意識と組織の硬直化です。

漁業のはなし


捕鯨については、1982年の年次会議において、母船式商業捕鯨が85~86年漁期から、沿岸については86年漁期から全面禁止の決定を見ました。


このように大洋漁業は、昭和50年代以降ずっときびしい逆風にさらされ、業績内容悪化の過半の原因はそこにあったといえます。


1978年には、共同捕鯨の事業縮小に伴い減船損が十数億円出るところを希望退職を募って若干の減益にとどめました。


しばらくして魚価低落で赤字になりましたが、下半期に減量効果や魚価の反騰円高差益、資産売却で赤字を埋めました。


しかしこの年には経常利益は前年より半減しました。


1985年には、サケ、マス、マグロの市況暴落で痛手を蒙りましたが、すりみ市況堅調で前年並みの経常利益を維持しています。


ただし不良債権の整理で累損を60億円出しているのは痛手でした。


教科書に出てこない偉人たち 2

判検事の中にもひそかにヤミ買して何知らぬ顔で役所に出ているのに、自分だけは今かくして清い死の行進を続けていることを思うと、全く病苦を忘れていい気持だ。」

夫人は早くから「このままでは死んでしまいます」と訴え、「判事なんてほんとにうらめしい」と泣いたという。

また、岳父も「食糧をとどけても受取らないので、一週に一、二度ずつ山口一家を呼んで食事をすることにしたが、そんな計画的なことはごめんだ、とこれさえもことわった」と書かれている。


ここまで徹底的に闇食糧を食べなかった判事なんて、彼以外にいなかったでしょう。

春の宴会


春の宴会を四月馬鹿日にもよおすのは、英・米・仏ではごくあたりまえのこと。


アメリカでは4月1日は非公式なパーティに最も適した時だとかんがえられ、たのしい宴会を自宅でひらくのが習わしです。


古風にしたがう人は、当日の招待状を道化帽のかたちに折った大判洋紙に書きます。


パーティの席は水仙と雛菊とで飾られ、室内の飾り付けはクリスマスか、または新年祭の模造として、柊木や寄生木が立てられ・・・


来客はその飾り付けにしたがって、「メリー・クリスマス」とか、「新年おめでとう」とか、適当な賀詞を述べなければなりません。


4月1日のパーティの中心は、なんといっても魚でした。


魚のかたちをした小さな紙にメニューを書き、テーブルには緑と白の飾りつけをし、まんなかに金魚鉢をおきます。


その鉢から小さな鉤竿が各人めいめいの席に緑色のリボンでつながれ、それぞれの先に土産物を入れた器が付けてあるのです。


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教科書に出てこない偉人たち 1

歴史教科書には出てこないような、素晴らしい人たちがいます。

その人たちの話を紹介します。


「食糧統制法は悪法だ。

しかし法律としてある以上、国民は絶対にこれに服従せねばならない。

自分はどれほど苦しくともヤミ買出しなんかは絶対にやらない。

従ってこれをおかすものは断固として処罰せねばならない。

自分は平常ソクラテスが悪法と知りつつもその法律のためにいさぎよく刑に服した精神に敬服している。

今日法治国の国民にはとくにこの精神が必要だ。

自分はソクラテスならねど、食糧統制法の下、喜んで餓死するつもりだ。

敢然ヤミと闘って餓死するのだ。

自分の日々の生活は全く死の行進であった。

幸せってなんだろう? 7

キャッシュ・ディスペンサー、まさに現金自動支払機だ。

だが、「ハイリスク、ハイリターン」という言葉通り、失敗すれば、担保にした家は失う。

月賦やローンが出現し世の中を変えていったように、また、自分が住んでいる家やマンションを担保にして老後の資金を借りる「武蔵野方式」が老後の過ごし方や意識に大きな変化を与えたように不動産の動産化は、急速に日本のマネi・ワールド、日本人の生き方を変貌させてゆくだろう(厚生省は武蔵野方式を発展させ、標準で四〇〇〇万円程度の土地を所有する人を対象に、土地を担保にしての終身年金と、いざというときの医療資金を貸す老後保障のシステムの構想を発表した)。

念には念を入れた保障措置が必要であるが、「不動産に車輪をつけて動かす」時代がくるというのもあながち誇張ではない。

だが、「愚公山を移す」には、畑を作り、太陽の恵みを得るという前提があった。

不動産を何のために動産にするのか。

財テクと老後のためだけではいかにも寂しい。

この夢にまで見た五〇〇〇万円もの現金が運用できるとき、それを何のために、家庭のためにどう使うか。

亭主の家政学、人生観が問われている。

じっくり人生を楽しんで金を使い、自分の葬儀が終わったあと、子供たちが遺産を調べたら、あると思った家と土地の財産価値のほとんどを使いきって、子供たちの腰をぬかさせるか……。

金余り時代は楽しみと危険を秘めたカードを配ってくれた。

秋の夜長、男の夢をひとつ何に賭けるか。


でも、こういうことを妄想するだけでも結構楽しかったりするんですよね。

程々が一番

さて、さて、気になるのはアルコールです。

その適量を、「健康日本21」では「日平均純アルコールで約20g程度」としています。

といってもピンとこないでしょうが、これは実際のお酒でいえば、ビール(中ビン500並)1本、清酒1合、ウイスキー・ブランデー(ダブル60ml)1杯、焼酎(25度)2/1合、ワイン(1杯120ml)1杯半程度。

このくらいに抑えておけばよく、さらに、「女性は少なめ、65歳以上の人も少なめに。かつ週に2日は休肝日を」といわれます。

しかし、お酒好きの人はこれができにくい。

その気持ちはわかりますが、腹も身のうち。

お酒もほどほどに。

あまりお酒が過ぎるとせっかく食事やモリンガで取った栄養が台無しになってしまいます。